あしきたフォトフェスでは、飯沢さんの出身地が仙台ということ、
オナカさんと本山さんが東北の被災で消えてしまった街の写真を
たまたまたくさん撮っていたということ、
今岡さんは海外の被災地をテ−マとした作品を今まで発表していたこともあり、
ト−クショ−では、
「震災後、いまの気持ち、いま写真家として」・・というようなテ−マの話になった。
・・16年前、私は神戸で震災を経験した。、といっても当時、私は海外に留学中で
神戸震災のニュ−スを知って、あわてて震災の翌日に日本に戻った。
・・生まれ故郷が、爆撃を受けたような瓦礫の街になっているのを目の当たりにして驚愕した。
・・それからしばらく、なんとか残った自宅で非日常的な被災生活を両親とともに送ったけれど、、
不思議なくらいその時の記憶の詳細が思い出せない。
思い出したくないことだから、夢中だったからかもしれない。
ただ覚えているのは、
リュクッサックかついで何時間もならんでバスに乗って、大阪まで買出しへいったこと。
普通の日常が普通にある大阪が別世界に感じたこと。
・・・・神戸の瓦礫の街には、しばらくするとカメラマンが、なぜかたくさん出現しだした。
プロっぽい人たちもたくさんいたけれど、「写ルンデス」を持ってパチパチ撮りまわっている
人もたくさんいた。
そんな彼らを見るたびに憎しみを感じたこと。
傷ついたものにレンズを向ける、その残酷な行為を
その時は憎んだ。
そして私は、写真を撮る者として「撮らない」という選択したのだけど。
でも、今、神戸は見事に復興をとげて、
震災の記憶すら、人々の中で遠くなりつつあることを感じていて
今思うことは、
あの阪神の震災は、写真なりなんらかの形で
ちゃんと記録されるべきものだった、と思うのだ。
記憶するために。
傷ついた街や人を「撮ってしまった者」への責任というものはあるだろう。
それは、そのことを、なんらかのメッセージとしで後世に残すことだろうと思う。
写真はやはりどうしても、記憶と記録という宿命を担うものだから。
・・・・・・・ところで、
ツイッタ−始めました。興味なかったけど、
震災で携帯が使えないとき、とてもやくにたったとかなんとか。
今日で二日目。やってみたらちょっと楽しい。
keikeinomunomuでつぶやいてます。ま、またすぐにあきてやめちゃうかもですが!?
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