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二月二十四日。晴れ。「イマ在ること」

 今日は小春日和。やっと春が来たのかな。。

今月に入ってここのところ、仕事もヒマだったし、
寒さのせいか気分も活動も低迷気味?、、ちょっと引き込もりしていた。
(ま、よく呑んではいたけれど・。)

こもって何をしていたかといえば
大量の本を買い込んで一気に読破したり、
とりとめのない考え事をしたりして過ごしていた。

・・ぼ−っとして、よく考えていたことは

「在ること」と「無いこと」についてだ。

とくには写真について

たとえば遺影の写真の人は、その中で静かに微笑んでいる。

その人の身体に触れていたこと、
確かにその時には、その人はいたことを写真は証明する。

記憶の中には、その人との思い出の時が蘇える。

でも、イマその人はいない。

死ねば、写真も私達の記憶も無くなれば、
白い骨以外は、もう目の前に「無い」。

人は、思い出、見たこと、体験したこと、
だれかの姿や自身の身体や愛する人を、必死に写真に残そうとする。

写真家は、、見えないはずのことまでイメ−ジとして創り上げ
写真に定着させ、それを視ようする。

けっきょく、写真の中に写っているものは

「現実にはイマここには無く、もしかしたらどこにも無いことだが、
でも、この写真の中に確かに見えて在るだろう、
見えて在ると思うことは在る。
・・感じれぱその人の心の中に。」ということなんだろうと思う。

・・この手に触れられず、匂えず、声聞けず、交わりを味わえず。。

「ただイメ−ジせよ。その眼に深く記憶せよ。」

写真とは、本当に残酷なものだな、と思う。

死者の写真、または死んだ写真家の作品を見る時、特にそう感じる。

(リアルな幽霊のようだ。)

写真を撮るという行為自体が、実は残酷なことだ。

・・だから「ただ、イマを記録せよ。」

・・ただ記録したいと、私は思わない。

すべて過去になりゆくものたち、

それが酷なまでの美しい光であれば、撮って残したいと思う。


・・そう思うとミュ−ジシャンのライブとかって、
ほんとにライブ「イマ」の表現だよなぁ・・と思うのだ。









Keiko NOMURA * - * 13:51 * comments(0) * trackbacks(0)

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